コミュニケーションの敗者による近況報告
僕には随分と仲の良い女性がいて、その人はモテない女であった。
彼女は僕に2回告白しており、僕はその2回とも彼女の告白をはねつけている。それでも、「これからも、仲の良い友人として」なんてきれいごとを並べて、関係は継続されてきた。
彼女と僕が普通の男女なら、新しい恋人をともに獲得し、健全な友人関係が築けたのかもしれないけれど、僕らはお互い、途方もなく非モテであったため、そういったことは起こらず、毎度毎度逢っては「さっさと恋人作れよおまえ」的な会話に花が咲くのであった。もう何年も何年も。
僕の好きな女の子が、僕の知っている男と付き合っていたとか、デートしているとか、僕には一切関心を示してくれないとか、そんな時、僕は彼女にそのことを愚痴った。彼女は彼女で、自分がほかの女性に比べ、男性から優しくされないことを愚痴った。
そんな話をしながらも、彼女が僕に告白をした事実は消えない。歪んだ力関係に2人とも気づいていながら、なんとか「友人」という架空の建物を維持してきた。
たぶん、僕は彼女をもてあそんでいたのだと思う。
最近、彼女が宣告なしに僕との連絡を絶った(具体的には着信拒否)。まぁ来るべき時が来たなぁという感じである。
彼女からの一方的な別れに対して、「やっぱり彼女は、僕の大切な人だ!」なんて思って彼女のもとに走れたら、どれだけこの世はよくできていることだろう。陳腐だけど素敵な物語の誕生だ。
でも、僕はやっぱり、彼女のことを恋人のように思えずにいて、彼女を思い出すのは恋愛で傷ついたときばかりだ。自分に優しい目をしてくれる安心できる避難所としての彼女を。情けない話である。
そんなわけで、僕は久しぶりに「コミュニケーション」とか「恋愛」とかいう名の戦場に降り立った。随分と戦力差のある戦場だ。ガンダムVS兵隊アリ。たぶんガンダムは戦場にいることすら気づいてないんじゃないかな。当然僕にも武器になるようなものは何もなく、振り返っても、もう例の避難所は存在しない。
いったいどうして、こんな戦争に巻き込まれたんだろうか。
僕らの世界は、自分の意味を確立しないと相対主義や虚無主義に飲み込まれてしまう脆弱なものだ。世界に意味を与えてくれるはずの宗教や国家や歴史はもう、その薬効が切れて久しい。残されたものはもう、極めて個人的なコミュニケーションや恋愛くらいなんだろう。
みんなが信じられる世界の意味が失われて、僕らは、こうして自分のために小さな物語をパッチワークしていくことになった。あなたがゲイでも黒人でもシングルマザーでもOK。好き勝手やってください。自由な社会。だけど、意味はない社会。
そんな状況下で、唯一みんなで共有できる基盤は「自由」と「平等」だ。「平等」はこうもいいかえられる。「市場」。なぜなら、ホリエモンの言うように、お金に色はなく、誰もが金を稼げれば、商品を手に入れることができるから。これぞ、グローバリゼーション=アメリカナイゼーション。
こうして、「コミュニケーションという戦場」が確立された。
「非モテ」とは、要するに、「コミュニケーションという戦場」における敗者だ。ポストモダンと、ネオリベが生んだ戦争の敗者だ。
「非モテ」は弱者ではない。単純に敗者だ。だから「救済」(共通基盤の一つ「平等」から生まれる概念)なんてものは行われない。モテないのは、自己責任でしょ?男を(女を)磨けよ。くやしいならさwwww
幾人かはコミュニケーションの戦場から離脱を試みた。「非モテ」から「避モテ」に。でも、戦場の外に何かあったのか。二次元?もっと真面目に答えてください。
共通基盤の一つ「自由」を持ち出して「モテない自由もある」なんて叫んだ人もいる。そりゃそーだ。でもそこで得られた成果って「セックスの経験があるかないかを聞いたり、童貞や処女をバカにしたりするのはセクハラ」ってことくらいなものだろう。そんだけ?それで俺たちの心は満たされるわけ?
僕は今、戦場にいる。ああ、いやだ。
戦争が嫌なのではなく、自分の無力さを実感するのが嫌だ。
「大体、コミュニケーション能力ってのは、才能が大きくモノを言うものなんだよな…ああ、不平等だ」そんなことをぶつぶつと呟くけれど、同じようなことを呟く経済的敗者に対しては、僕はきっとひどいことを言うだろう。
戦場から逃れる方法は模索し続けなくてはいけない。人間、得意不得意があるから。でも、たぶん、少なくとも僕はこの「コミュニケーションの戦場」である程度の戦果をあげなければならないだろう。
35歳の職歴なしのニートを思う。仕事探せよと僕は彼に発言するだろう。おんなじことを自分に言い聞かせる。
とりあえず、足元の棒を拾って振り回してみる。近くでエヴァンゲリオンがポジトロンライフルをセッティングし始めた。棒がしなって、心もとないこと、心もとないこと。
でも、しょうがないよね。ため息をついて、僕はその棒を片手に、この戦場を歩き始める。
…そういうわけで、今から合コンに行ってきます。
モテ男の会話術を垣間見た
新年明けましておめでとうございます。どうせモテないし、今年からは心を入れ替え更新に励もうと思っております。
年末に参加した忘年会で、僕がちょっと気に入ってた女の子とモテ男が恋愛話をするのを横で聞いてたよ!いやぁ、ホント忘年したくなる年の瀬だ事。
さて、そうした中で私が気がついたモテ男先生の会話術を報告したいと思います。
モテ「ふふん、なるほどね。うーん、そうかぁ。わかるよ、○○ちゃんはロマンチックなんだね。うん、そうさ。ロマンチックだよ。」
モテ「○○ちゃんは『仕事が大事』っていうけど、そうかなぁ。もちろん仕事も大事なんだろうけど、○○ちゃんは仕事以外にも大事なものが何かあるんじゃないかな。そんなことない?そんな気がするんだけど。」
モテ「自分から告白するのには抵抗があるんだね、きっと。男の人から告白されたいって願望があるんじゃないかなぁそれは。」
モテ「うん。うん。うん。そーだよね。怖いよね。恋をしているときは誰だって臆病になるよね。うん、わかるわかる。僕も怖いよ。でもさ。うん。前に踏み出していかなきゃね。」
ひょっとしてバーナム効果?
バーナム効果(バーナムこうか、英:Barnum effect)とは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象。
ほかの人が彼に恋愛相談をするのを聞いていたんだが、2度とも「○○はロマンチストなんだねぇ」と言っていたことで確信したよ。こりゃ、占い師のテクニックだ。そんなもん、恋愛相談する奴なんて、初潮来たばかりの5年生女子から百戦錬磨の売春婦までロマンチストだっての、あーた。
問題は、彼がこれを無意識で行っていることだよ。たぶんだけど。それがすごい。どういう育ち方をするとこういう技術が身につくのかねぇ。不思議だ。
この手のモテ男の恋愛相談とか、人生話を聞くと、なぜか虫唾が走っていたのは、占い師っぽさを感じるからだったんだなと納得。
うーん、真似しようとすればできなくはないのかもしれないが、どうにも気分が悪い。しゃらくせぇ。まぁ、非モテの皆様、参考にしてモテてくれ。俺はいいや。
初音ミクをもっと人間っぽく歌わせたいだぁ?お前らは何もわかってねぇ。
彼女の魅力はその不具性にあるのに!!
歌うためだけに生まれたサイボーグ。にもかかわらず、決して人間的とまでは言えない未完成な機械的な声。しかしそれにもめげず、ユーザーのために精一杯歌う姿。その健気さがいいんじゃねぇか。その「物語性」に萌えるんじゃねぇか。
「もっと技術が向上して、彼女を人間らしく歌わせたい!」そういう風に思うユーザーがいるのはわかる。それが親心ってもんだ。でも、本当に生身の人間と遜色ないように歌う彼女が魅力的か?技術としてはすごいでしょうよ、そこに驚きもあるでしょうよ。でも、全然萌えないんだよ、それじゃ。
発売元は、今後も彼女をバージョンアップしていく必要はあるだろう。でも、操作性の向上や、楽曲の提供を中心にしていくべきで、決して、完璧に人間らしい歌声を与えてはだめだ。どこか機械的でないと。
むしろ、初音ミクと若干声質の違う、初音ミクのお姉さんやら妹、弟などのバリエーションを増やしていくべき。あとはオタクどもが勝手に物語を作ってくれる。
目指すべきは「とらぶる・ういんどうず」だ。