新年明けまして非モテ。

久しぶりに、更新を再開し、年明けということで、本年度の非モテがらみの活動に関し、私の立ち位置を述べたいと思う。

はっきり言って、私は、女の子と付き合いたいのである。お手手の皺と皺を合わせて、幸せ、なーむーとなりたいし、ほっぺやらリップにチュッチュしたいのである。オッパイを揉みしだいたり、舐め舐めしたいのである。おまんまんにおちんちんぼっきっきである。
私は恋愛そのものを否定していない。私は「恋愛こそ人間性バロメータである」という考えをぶっ壊したいのである。

もうだいぶ前になるが、同期で海へ行くというイベントがあった。まぁ今なら間違いなく誘われないだろうが、当時はまだ、全員の名前も曖昧な状態であったから私ですら誘われたわけだ。
海岸に到着。砂浜に荷物を下ろす。荷物置き場の目の前に広がる海はサーファー用。海水浴ができる海は、少し歩いたところにある。逆側には、ビーチバレーコート。
つまり、海水浴用の海、ビーチバレーコート、荷物置き場の三点があるわけで、正しい楽しみ方としては、3グループに分かれて巡回するか、6グループに分かれて、右回り組と左回り組を作るかである。もちろん実際は、そこまで数学的に厳密な遊び方をする必要は無いわけで、みなが自然に楽しむうちに、自然と秩序が生まれるであろう。ある人が海に入っているとき、誰かは荷物番をしながら友人と歓談し、ビーチバレーから誰か戻ってきたら、荷物番の一人がビーチバレーをしにコートへと…。

気がつくと、誰もいなくなった。私だけが荷物番をしていた。

なぜだ!なぜこういったことが起きる!海は遠すぎなので、荷物をほったらかして、誰かを呼びに行くことはできない。ビーチバレーは多少近いが、大声を張り上げてやっと届くくらいだ。
私はしばらく迷って、まぁ、しばらく休んでいようかなと思った。その内誰かが、海から上がってきたり、ビーチバレーから戻ってくるだろう。「あれ?もしかしてひとりで荷物番してたの?ゴメンな!気がつかなかった!今度は俺が替わりに荷物番するからさ!みんなと海で遊んで来いよ!」なんていいながら。

…それから2時間ですよ。太陽が海に沈んでいきましたよ。俺は気がつくと、砂浜に深い深い穴を掘っていたよ。

おまえらさぁ、お前らが楽しく遊んでいる浮き輪あるじゃない?アレの空気を入れたの俺だって知ってる?3個中2個は俺が入れたんだよ?なぜか、俺に「空気入れといて」って渡したよね。500メートルくらい離れた海の家まで走って、500円払って空気を入れたけど、帰ってきたときには、もう頼んだお前らは女の子と海へ行ってたよねぇ?
いや、お金はいいですよ、500円×2=1000円(税抜き)は。でも、ありがとうのあの字も無いのはどうなの?僕はあれから一年半待ってるんだけど。あと、1000円に関しては法定金利ギリギリで、1300円になっているから1月中に俺に振り込め。消費税分は免除してやる。

ふー。思いもかけず長々としゃべってしまった。
この長いエピソードで何が言いたいかといえば、「こいつらモテるけど人間としてはダメダメ」ということだ。俺のほうがよっぽどまともだ。ボケナスどもめ。

どうも、この世の中では、「モテる⇔人間として素晴らしい」という命題が真だと信じられている節がある。違うぞと。「モテる→人間として素晴らしい」は間違いなく違うし、「人間として素晴らしい→モテる」も多分違う。
モテるというのはスポーツみたいなもので、それと人格形成は一切関係が無い。モテることは、単なる1ジャンルが得意だってことに過ぎないのだ!米粒に般若心経を書くのが得意だってことと同じなんだ!

知り合いにモテない女性がいてだな、彼女はこの間、ゼミの同窓会に出席したのだ。そこに来る女の子は皆、可愛らしく、彼氏も皆いるわけだ。それを見て彼女は絶望していたよ。ああ、何で私は、彼氏がいないのか、愛されないのか、私はダメな人間だと。
そりゃ、彼女はモテないよ。でも彼女はダメな人間なんかじゃない。彼女の同窓の有名なあの女なんか、会社のあれとあれして、男側はあれになったのに、彼女は平然とあれしてるんだから、はっきり言って人間のくず。くず中のくず。その点彼女は、そりゃー顔はイマイチだし、おしゃべりしすぎだし、余計なことばっかり言うし、空気は読めないが、それでも、非常に真面目で、誠実で、必死に生きてるよ。彼女はいい女だよ。何で彼女が、泣かなきゃいけないのだ。間違ってるだろうと。

彼女は、そして全国3000万人の非モテは、モテないからといって自分の人格を疑う必要なんて無いのだ。米粒に般若心経を書けなくて、自分の人間性に思い悩む奴がどこにいる?
非モテは、自分が良いと思った道を進めば良いのだ。もし、モテたいって気持ちがあるなら、それなりに、やりゃいいのだ。自分が良いと思った道と、モテるための道。もしも相反するようなら、バランスよく選べば良いのだ。
もしも米粒に般若心経を書きたけりゃ、練習はするだろ?でもその練習のし過ぎで、人が死ぬとか、破産しそうなら、練習はほどほどにするだろ?それと同じである。

非モテよ!ああ非モテよ!自分が信じた道を進め。多分モテないだろうけど。
モテたかったら、ちょっとは勉強だ。でも、信じた道を踏み外すこと無かれ!モテに魂を売ってはならない!米粒に般若心経を書くために、悪魔に魂を売る奴がいないように!

これを新年の挨拶といたします。それでは、今年も良い非モテライフを。