DQNへの嫌悪感はどこから来るか?

げんしけんの大好きなシーンが取り上げられていたこともあり、こちらに言及。
私もいわゆるDQNに生理的嫌悪感を抱くのだが、いったいなんでなんだろう?と以前から疑問に感じていた。うーん。何でだろう。
結局のところ「彼らが、その節操の無さやモラルの無さにもかかわらず、いや、むしろそのことによって、私には手に入れることのできない幸せを手に入れている」ということに起因するように思える。
空き缶をポイと捨てたり、複数の女と(時にはレイプまがいの方法で)ヤリまくったり、カツアゲしたり、高校生なのにタバコ吸ったり、酒飲んで暴れたり…彼らDQNは悪事を働いている。それに対し、僕らはこんなにも真面目に生きている…なのに、なのになぜだ!?なぜ、あいつらのほうがモテルのだ!?しかも、悪いことをしているはずの奴らのほうが、なぜか俺たちを見下した目で見てくる。なんなんだ一体!?…と、まぁこんな感じだろう。
「本当は正しいのに迫害されている俺たちと、悪い奴らなのに世界から承認されているDQN」という感覚。(ちなみに、こういう被害者意識が満載なときに、お婆さんに席を譲るDQNなどに遭遇すると非常に複雑な気分になる。この世界観がおかしくなるからだ。)こういった感覚は私の中にも存在する。まぁ、上ほど被害妄想的ではないが。
で、この世界観の中で女の子たちはどういう位置づけになるかというと「どうせ、DQN側だろ?」となる。さきの被害妄想によって引き起こされる消極性から、女性受けが悪いからだ。つまりすべての女性は、非モテにとって基本的に敵側にあるのだ。そして、こういった逆境の中で唯一、自分側に来てくれる女性が非モテにとっての「彼女」となるのである。加野瀬氏による「男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない」というのはそこからきているのではないだろうか。(しかし、実際にはその「彼女」ができないのでますます被害者意識は強くなる)
以前ここで議論されていた「きれいなお姉さんを見ると鬱になる」というのも「ブサイクでアホなギャルどもがDQN側なのは仕方ないけど…。あのお姉さんも体制側(DQN側)なのかなぁ…。そうなんだろうなぁ…。ああ、味方はやっぱり誰一人いないんだなぁ。」というところからきているように思うが、どうだろう?

追記4/18
今更だが追記。某所でこれのコピペを発見したのだが、どうも誤解されているようなので。
私は「モテている人はDQNである」と言っているわけではない。モテている人とDQNを同一視した主張というのは、モテない系Blogのそこここで見られるのだが、そんなわけは無い。また、「DQNは一般にモテる」とも言っていない。「DQNはモテない君よりモテる」とは思うが。
つまりどういうことかというと、モテない君は、
DQNじゃないモテくん>>>>(越えられない壁)>>>>>>モテない君>DQN
くらいのモテ度であるべきと考えているのに対し、実態は
DQNじゃないモテくん>DQN>>>(越えられない壁)>>>>>>モテない君
であるということに対し、モテない君は怒りを、そして上のような思いを覚えるわけである。
ちなみに、何で上みたいになるかというと、女性というのは基本的に「私を守ってくれる強い人」が好きなために、弱弱しく、うじうじしているモテない君より、一見力強く、自信にあふれている(実際には女性を馬鹿にしているだけなんだが)DQNっぽい男性のほうが良く見えるからである。そのDQNを好きなときには、女性はその人をDQNだと思っていない場合が多いしね。