続・DQNへの嫌悪感はどこから来るか?

DQNへの嫌悪感はどこから来るか?に以下のようなコメントが。

喪男
『お前バカだろwww
よほどコンプレックスがあるみたいだがお前みたいなオタクってDQNか喪男かどっちかしかないって考えてんの?w
まっ、お前みたいな根暗オタクっにとっては見た目が派手な奴はDQNなんだろうけど。
2ch見てても思うんだけどすぐにDQN、DQNって言ってる奴ってアホだと思う。
ネチネチしててコンプレックスの塊で、そんな奴がモテるわけねーだろww
ネット上でストレス発散してても何も変わらないぞ。
不良はアホだがお前みたいな奴はもっとアホだろ。今のお前に言っても分かんないだろーがな。』

どうも。喪男ですw
以前から書こうと思っていたことを、このコメントのおかげで思い出せたので今回はそれを。
「オタクってDQNか喪男かどっちかしかないって考えてんの?」というのは非常によく見かける議論です。(オタクというより喪男的考えだと思いますが。)この手の議論に対する答えとして、追記したつもりだったのですが…。
追記を繰り返しますが、私は「モテている人はDQNである」と言っているわけではないです。「DQNじゃないモテくん」も存在していると追記に書いていますよね。よって「DQNか喪男かどっちかしかないって考えてんの?」ってのは、追記前のエントリーに対しての突っ込みとしては成立していると思うのですが。追記が分かりにくかったかもしれませんね。
ただ、一般として「モテ=DQN=イケメン」という見方は非常に多いというのは事実です。どれも「非モテ」にとっての敵、というわけで同一視されているんでしょうが…。それぞれ別のニュアンスもってますよね。イケメンは、まぁ見た目がいい人ってことでしょう。問題は「モテ」、「DQN」の定義かと。
まず。「モテ」について。「モテる/モテない」という区分け自体が成立するかものかどうか、という議論がありました。オタクの考えるモテとは? を参照してください。

「モテ」は第三者視点の評価のはずなのに、それを主観にひっぱってきたところで自発的(対応的)な意味での「非モテ」という概念が生まれ、しかもそれは厳密にいえば非モテではなく抗モテ的で、そこに言い換えの誤りがある。

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041218#p1*2
非モテ」の概念の誕生は確かに、このあたりからでしょう。しかしいまやそれは一人歩きのすえ、「どこ行っても、女性から相手にされない人」という定義になっているかと。つまり「どの戦いでも負け続ける、少なくともそう思い込んでいる人」それが「非モテ」であろう。オールラウンドでモテようなんて思っている非モテは少ないのではないかと思います。
じゃ、DQNって何よってことですが、「反社会的なことをやって、女にもひどいことばっかりやってるのに、恋愛が出来ている人」っていますよね?そういう人を元に「非モテ」が生み出した仮想敵のようなものかと。つまり、DQNかどうかというのは主観的なものなのですね。そのためにそういった人々を敵にする必要が無い、一般の人にはピンと来なかったりするんだと思います。
じゃ、何でお前は「DQNへの嫌悪感はどこから来るか?」なんて書いているのかといえば、普通の人には想像しづらくとも「非モテ」にはDQNを「見る」ことが出来るわけですね。主観的なものなので人によって違うわけですが、ある程度共通点がある。その共通点を探りたいと思ったのです。ですから、「DQNへの嫌悪感はどこから来るか?」というより、実は「DQNと呼んだりする嫌悪を感じさせる存在があるよね、あれって何?どういう奴らに僕ら、非モテはそういう感じを受けるんだろう?」という議論であったのかと思います。

せっかくなので、ついでに私の「モテない」という現象に対してのスタンスを。
私はネットでモテなさを愚痴っているというより、「非モテ」(自分含む)がどういう風に社会を捕らえるかに関心があるんです。(ジョークで愚痴ってみせたりはするけど)
たとえば、私は「ムッキー!DQN逝ってよし!」と思ったりすることも確かにあります。そこで「なぁ!みんな!DQNって逝ってよしだよな!」というエントリーを書くのは、愚痴やストレス発散です(別に個人の日記だからそれをやったらイカンというわけではないけど)。しかし私が関心があるのは、「何でそう思うんだろう?」ということなのです。おそらく、「DQN逝ってよし!」と思わない人にとって、なぜ「非モテ」がそう思うのかは想像するのが難しいでしょう。私はモテません。ゆえにそのメカニズムを言葉に起こすことが出来ます。そしてそれは、自分自身の考察でもあるわけです。これが私このブログにおけるスタンスです。

うお。思ったより長くなってしまった。