無断リンクの話

ごめんなさい。前回あんまり周辺記事を読まず脊髄反射で書いてしまいました。ってことで、もっかい。

元々の議論のスタートはたぶんここ(違う?)。
rahiemの宗教社会学blog - メンタルヘルス系サイトに「無断リンク禁止」が多い件について
それに反論したのがこれ。
NWatch ver.4 - 「リンクは絶対に自由だ」のもとで迫害される人々


WebSiteなんてものは、法的に問題さえなければ、基本的に何をやっても良いわけです。また、このありとあらゆる欲求を自由に満たせることこそが最もネットで尊重されるべきことだと思います。

さて、そうは行っても、「無断リンク禁止」なる身勝手な主張はしばしば見受けられる。

や、

見て欲しい人以外見るな、でもみんなに公開したいなんて矛盾もいいところですよ。 つーか傷の舐めあいしたいだけでしょ、そんな事いってる人

あたりを見ると、それのどこが駄目なのかが分からないんですよね。だって、どんなサイト運営していようと勝手でしょ?リンクされたくないって表明して何が悪い?そういう欲求のどこがいけない?

もちろん、逆に「無断リンク禁止」を掲げるサイトに無断リンクしたい欲求もあるでしょう。ここで、お互いの欲求がぶつかり合っているわけですね。

さて、ここで「モラル」の話。高齢者には席を譲りましょう、視覚障害者を誘導しましょう、etc。
「目の前に高齢者がいるけど座り続けたい。」「誘導するのめんどくさい。」という欲求は簡単に満たされます。法的拘束能力はないですから。しかし「歳を取ったら休みたい!」とか「目が見えないけど、目的地にさっさと着きたい!」という欲求もまた存在します。そしてそれらはまったく別世界の話ではなく、(高齢者でも、視覚障害でもない)私にもまた関係する話です。なぜなら、私が歳を取る可能性も、目が見えなく可能性も存在するのですから。そこでいわば今後の「保険」として「モラル」を既定するわけです。
法律にしないのは、そこまでやってしまうと、今度は「目の前に高齢者がいるけど座り続けたい。」「誘導するのめんどくさい。」という欲求が通らなくなってしまうからです。このように「モラル」は全員の欲求を、ある程度満たそうとするときに利用されます。


無断リンクの話に戻すと、欲求が満たされる可能性が低いのは「無断リンク禁止」を掲げ、禁じる欲求のほうでしょう。なぜなら、法的には無断リンクは認められているからです。そこで「モラル」を登場させ、この欲求が満たされやすいようにするわけです。

あなたも、もしかしたらサイトに「無断リンク禁止」と掲げたくなる可能性があります。そのときに、その欲求が通らなければ嫌な気分になるでしょう。初めに書いたように、ネットで尊重されるべきは、「ありとあらゆる欲求を自由に満たせること」です。
そこで、モラルとして「「無断リンク禁止」を掲げたサイトには極力リンクしない」というもの既定することで、そういった欲求が満たされやすくしてあげる。こういった考えこそが、ネットの自由を結局は増やすことになるんじゃないんでしょうか?