嫌韓流と非モテ

東浩紀氏が「嫌韓流」の自己満足という題で書いたコラムをネット上で見つけた。
「嫌韓流」の自己満足 (東 浩紀)
要点をまとめると…

公平を期すために言えば、そこには説得力のある議論もある。しかし、彼らの議論は、日韓関係の改善に繋がる積極的な提案に結びつくわけではない。

そこ、とは「マンガ嫌韓流」内の議論である。
(よく知らんけど)韓国側にも問題は多々あるのだろう。しかしこのコラムで問題にしているのは、嫌韓

「歴史問題にしても竹島にしても、韓国人はどうしてこう話が分からないんだ、まあバカだからしょうがねえか」という諦め、 というより冷笑

しか生み出していない点だ。
嫌韓厨がしていることはただの「ネタ」集めであり、その裏には

他人の価値観を「嗤」い、そのことで自らの優位性を保とうとするロマンティズム

がある。
如何にして、隣国にある国とうまくやっていくか(うまくやる、というのは当然、相手の言うことを飲むという意味ではない)という建設的議論が必要なのに

嫌韓にはそのリアリズムが欠けている。

それがこのコラムの主張である。


で、今度は「非モテ」の話へ。
様々な資料を基に「女がいかに醜いか」を語る一部非モテに対しMasao_hate氏はこう言った。
世界のはて - 恋愛は醜い
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050907/1126104713

そもそも恋愛っていうのは、男女の複雑な思惑が絡み合う、欲望のルツボなわけで、そんなキレイなもんじゃないんですよ。

これは「嫌韓流」の自己満足の言い方を借りれば「非モテにはそのリアリズムが欠けている。」と言っているのと同じだろう。

一部非モテがあげるデータは捏造でもなんでもなく事実だ。HIV感染者は増えているし、浮気する女性は一定数いるだろう。性は以前よりも乱れているし、中絶の問題もある。
しかしそういった話を、一部の非モテはただ取り上げて悦に入っている。嫌韓厨の「韓国の否定的なデータ集め」と同じだ。そこから何も彼らは生まない。
たとえば、HIV感染者が増えていることを危惧するなら、「性感染の知識が足らないのだ。性教育を充実させよう」「いや、それより性情報の氾濫を抑えろ、ゾーニングだ」といった議論をするのが建設的だ。しかし彼らは「HIV感染者が増えている!それ見たことか!」と小躍りするだけだ。
多くの女性が浮気をしているというのならば、大上段に構えて教育論を語るもよし、もっと個人的なレベルで、そういった女性をどう見極めるか、浮気の予兆はどのように現れるかなどの話をすれば良いじゃないか。あいつらはこんなに酷い!こんなに醜い!というだけなのはどうしたことなのだ。
また、どう見てもマイナーなケースを取り上げて「女は酷いですねぇ」とまとめるケースも多い。 「嫌韓流」の自己満足だと、

実際、嫌韓厨の韓国批判のネタにはマイナーなものが多い。

の部分に相当する行為だろう。
そういうわけで、こういった記述を見るたび私は、

他人の価値観を「嗤」い、そのことで自らの優位性を保とうとするロマンティズム

を感じ、嫌な気分になるのだ。


なお、喪男道覚悟氏からコメントを頂いたので、あわせてこの場で返信をしておく。
「高潔な精神や高潔に振舞うことに精神的満足(自己満足)を感じられる人間」とだけしか付き合わないという姿勢は覚悟氏の自由です。
私は、金目当てだろうが、顔目当てだろうが、別にいいと思うし、そこから愛着がわいていくことがあるだろうと思いますけど。個人的には、覚悟氏の主張は理想論過ぎてリアリティを感じられません。あくまで個人的にですが。