みやきち日記 非モテ
を、読んで。

正直言って、やたら恥ずかしいことをこれから書く。ネット上にこれが残るかと思うと嫌な気分だが仕方がない。書かせろ。

「愛する」とは何か。それは誰かの幸せを願うことだ。

愛されたければまず真摯に誰かを愛さなきゃダメだ

とmiyakichiさんは言う。
ねぇ?モテない人間は、誰かの幸せを願うことさえ出来ていないんだろうか。そりゃ中には、世の中のすべての人を呪って生きている人もいるだろう。でもすべての人を呪うなんて、相当に難しいことなんじゃないか。誰しも、愛する人くらいいる。
問題は、愛することだけじゃ人はなかなか満足できない点にある。エゴがある。欲求がある。優しくされたいし、一緒にいたいし、キスをしたいし、セックスしたい。相手に愛されたい。
モテない人間とは、様々な理由で自分が愛している相手から、愛されない人々だ。欲求をかなえることが出来ないってことだ。それは端的に言ってつらい。その辛さがモテない人間の根底にある。
miyakichiさんは書いている。

「どうして愛してくれないんだ」といちいち恨みつらみをつのらせてる時点で、怨念系非モテ諸氏の気持ちは元々愛なんかじゃなかったんでないかとあたしは思う。

「どうして愛してくれないんだ」と恨むことは許されないことなのだろうか。普通に恋愛をしている人たちだって、失恋のたびに思うことなんじゃないのか。誰もが愛すると同時に、エゴを持ち、その愛する人に愛されたいと願うんじゃないのか。

確かに、「非モテ」の中には恨み辛みから酷い文章を書き散らかしている奴もいる(それについては後日書く)。これまで愛されなかった反動から、とにかく誰かに愛して欲しいと願う人もいる。
しかし、モテない人々を、人も愛せないような人間だと考えるのはあまりに酷い。「猫云々」も同様だ。

漫画「プラネテス」のハチマキは言った。

「愛し合う*1ことだけはどうしてもやめられないんだ」

モテない人間だって、愛されるかは別にして人並みに人を愛している。そんなの当たり前じゃないか。馬鹿にすんな。

*1:ここでの「愛し合う」は、カップルで愛し合うってことだけではなく、人々が誰かを愛し愛され、互いにネットワークを構成している様を差すものと思われる