喪男の喪は…

色々コメントを頂いたおかげで、僕の中でもだいぶ考えがまとまってきた。一部前回のまとめと被るが、まず、もう一度、これまでの流れを。

嫌韓流と非モテは、非モテ界隈で行われる「ほぼすべての女性が敵だ」という言説が不毛で、建設的でないということを指摘したものだった。

これに対し、「ほぼすべての女性が敵だ」と発言することが建設的だとRSR氏は述べた。

自分たちの正しさを主張できるだけの根拠や論理武装を孤独な喪男たちに提供し、護身の完成を目指すことが目的です。


しかし私はそうは思わなかった。「ほぼすべての女性が敵だ」と言う考えはあまりに不毛だと感じた。

まず、私の立ち位置から説明しよう。
非モテの辛さは、単に愛されなかったと言うことではない。それはたぶん仕方がないことだから。しかし、恋愛が出来ないことに対する外からの圧力、自分が社会不適格者なのではないかと言う不安、これらはなぜ存在するのか。
その裏には(恐らく)「恋愛至上主義」がある。この社会は今まで見えていなかった「恋愛至上主義」と言う名の圧力があり、私たちの心を束縛していたのだ。その束縛から我々は開放されなければならない。

その立ち位置から「ほぼすべての女性が敵だ」という運動について考える。
女を憎む。それが一体どのようにして「恋愛至上主義」を打破できるのか。
何か軋轢が発生したとき、一方を悪とし、彼らは話が通じない連中なのだ、としてしまうのは容易いことだ。しかしそうした単純な侮蔑や差別化が何を生み出すと言うのか。もちろん、何も生み出さない。

さらに「恋愛至上主義」打破しようとする運動の対象は、非モテだけではない。DQNも、モテない女性も、もてている女性も、幸せに恋愛をしている人々も、対象なはずだ。なぜなら彼らもまた、「恋愛至上主義」に縛られているのだから。
それに対し、「ほぼすべての女性が敵だ」という運動は対象をほぼ非モテに絞っている。
私はだから、彼らの行動を不毛だと言った。


しかしよく読めば、RSR氏はこう言っている。

あくまで喪男の自衛であり、それで手一杯、精一杯です。世間が変わるなどと大層な期待はしていません。

そう、「ほぼすべての女性が敵だ」という運動は、そもそも喪男非モテ)しか対象としておらず、そして「恋愛至上主義」を打破することなど考えていないのだ。つまり、そもそも目的が違う。
では一体、何が目的なのか。
「女が酷いからモテなくていーんだもーん。っていうかむしろ俺が正しいんだもーん」というオナニー以外の目的とは何か。

彼らの主張を改めて振り返る。
女は醜い → 醜い女性と付き合いたくない → 女と付き合わない
これが彼らの論理である。(ですよね?)

良く考えて欲しい。これのどこが「非モテ」なのだ。
非モテ」は女から相手にされない連中ではなかったか。「非モテ」は別にモラリストだろうが、モラリストでなかろうが、端っから女と付き合えない存在なのだ。「醜い女性と付き合いたくない」とかそういう問題ではない。付き合えないんだから。それじゃ、何故、彼らは自分たちが「非モテ」だと標榜するのか。

これこれこういう女性が好きだが、最近の女はそういう子がいない。だから付き合わない。
そう、最後の結論が「付き合わない」だから彼らは非モテを標榜しているのだ。しかしそれは非モテなのか?
「毎日、毎日、淫乱間違いなしの醜い女子どもが俺に告白してくる…。はぁ、俺、ああいう連中とは付き合いたくないのに…。ああ、女は醜い。俺はいくら告白されても、女とは付き合わないぜ…」というスタンスさえありうるのだ。
これは「非モテ」のための運動ではない。「モラリスト」のための運動だ。
もちろん、「モラリスト」が付き合っていないことによって、迫害されるのなら、「非モテ」と共闘するケースもあるだろう。しかし、基本的には「モラリスト」が語るべき悩みであり、話だ。

たとえば、最初にあげたRSR氏の発言も

自分たちの正しさを主張できるだけの根拠や論理武装を孤独なモラリストたちに提供し、護身の完成を目指すことが目的です。

で良いではないか。なぜ、喪男とした?
非モテモラリストだから?いいえ。たとえば「非モテ」の私は、彼らが指摘したようにモラリストじゃない。
モラリスト非モテだから?モラリストが好きな女性、一杯いると思うけど?むしろ女性の理想かと。女の人、どう思う?
ほとんどの女性が醜く付き合えないがゆえに、結果的に非モテになっていると言う意味で、非モテと言っているとしても、“モラリスト非モテ”である。つまり、モラリスト論は非モテ論の一部でしかない。それを非モテ論として語るのはおかしい。

女の子から好かれようが好かれまいが、モラリストはいる。彼らが社会に不満を持っているというならそれもいいだろう。しかしそれを何故、非モテの文脈で語るのだ?非モテの文脈でそれを語っては、それはまるで私が勘ぐったオナニー説を裏付けるみたいじゃないか。
それに、モラリストによる不満を非モテの文脈で語ることは、「恋愛至上主義」を打破しようとする運動にとってもマイナスにしかならない。フェミニズムを見て欲しい。一部の「男が全部悪いのよ!女は正しいの!」などというアホ丸出しの一部フェミニストがいかに、フェミニズムのイメージを悪化させているか。
そして、モラリスト達の運動が非モテを語ることによって、本来、共闘すべきモテない女性をいかに遠ざけたか。はっきり言って迷惑極まりない。

質問だ。覚悟氏のブログはなぜ「喪男道」なんだ?
ひょっとして「喪男」って「モラリスト男」の意味で使ってるのか?