「モテ基準」とのいい感じの間合い

fromdusktildawnの日記 - 恋愛にファッションが重要であるという幻想
なかなか面白い。

ほんの十数年前の話である。

とあるが、「十数年前」だと80年代後半から90年代初頭ってことになるわけで。話を見る限りバブルのころって事はあるまい。アッシーとかミツグ君の時代だからなぁ。「数十年前」の間違いじゃないかな?

「今日は裁判を見学にいこうぜ。」とか「ウーマンリブの団体とディベートしてみようぜ」とか、そういう味のあるイベントを仲間うちで企画しては、ときに不謹慎なジョークをとばしては仲間たちと盛り上がっていた。

あたりを見ると70年代あたりの感じがするけど。いやぁ、それにしても「ウーマンリブの団体とディベートしてみようぜ」ってフレーズいいね!一度、女性をこういう風にお誘いしたいもんですねぇ。

さて。70年代ごろと断定して話を進める。
これって結局、当時の男のカッコよさってのが「資本主義社会が提示する"オシャレ"という概念に反抗すること」だったってだけなんだろうなぁと思うんだが、どうなんでしょうか。
「ファッション雑誌をチェックしていない」ということを馬鹿にされることは無いが、代わりに「マルクス資本論を読んでいない」ってのは馬鹿にされちゃう時代なんじゃないのかなぁ。いや、もちろん、当時のことは知らないので、「資本論」がどの程度必読書だったかはしらないけど。「ノルウェイの森」でそんな話があったので。
別に、団塊はけしからんとか、左翼氏ねとか、そういう話をしているわけじゃないです。恋愛における「カッコよさ」ってのは時代とともに当然移り変わるわけだ。でも「この時代のモテ基準は完全に良くて、この時代はモテの基準が完全に間違っている」ってこたーない。
重要なのは、時代ごとに作られる「モテ基準」に対して、どれくらい適切な距離をたもてるか、ってことじゃないんですかね。
時代の「モテ基準」に左右されすぎちゃうと、(そりゃモテるかもしれないけど)自分の考えを狭めてしまう結果になるし、馬鹿にしすぎると、女の子がゲットできずに悲惨な気分になる。うまいバランスを取らなきゃいかんわけ。つまり「モテ基準」を、そのアホらしさを認識しつつ、多少取り入れて彼女を作るってこと。この塩梅がムズいんだよねぇ。うまくできん。あ、もちろん恋愛以外の道を探るって方法もある。これはこれで「あり」。

正直、ここに描かれている時代の空気は嫌いじゃない。たぶん、今の時代よりも、僕がモテやすい時代だと思うし。この時代の学生の爪の垢を煎じて、109に立てこもるギャルどもに放水車でぶっ掛けたらいいんじゃなかろうかとは思うよ。
ただ、これこそが正しい「モテ基準」だって感じの記事だったので突っ込みいれてみました。まぁ、単にノスタルジーってことなのかもしれないけど。

時代ごとの「モテ基準」の変遷は研究すると結構面白いかもね。バブル期は今よりもっと悲惨な気がする。どうだったんでしょう?バブル期に大学生だった皆様。

[追記]
投稿してから思ったのだが、資本論とか学生運動とか、fromdusktildawnさんは言ってないんですよね。勝手にこっちで脳内追加してるわ。fromdusktildawnさん、すいませんです。
まぁ、そういうわけで資本論うんぬんは、訂正の方向で。主要な意見は、時代によって作られる「モテ基準」で絶対悪も絶対善も無いよね、ってことですね。