オウム信者とライブドア社員の差はどこにあるのか

オウム信者、松永さんによるサリン事件についての回顧。正直な気持ちが書かれているように見える。興味深い。
オウム/アレフの物語 - オウム・アレフ(アーレフ)の物語 - サリン事件のとき


オウムはサリンをまいた。違法行為を行った者、そして違法行為が行われていることを認識しつつも、口をつぐんでいた者には責任があるだろう。じゃ、末端のオウム信者たちはどうか。彼らに、責任はあるんだろうか。

ライブドア証券取引法違反をした。違法行為を行った者、そして違法行為が行われていることを認識しつつも、口をつぐんでいた者には責任があるだろう。じゃ、末端のライブドア社員はどうか。彼らに、責任はあるんだろうか。


私には、前者には罪があり、後者には罪がないように感じる。じゃ、その違いは一体どこにあるんだろう?
私には、正直良くわからない。


アーレフは麻原の写真や、説法を基にした活動を今も続けているという話を聞く。本当ならば、それは確かに問題だ。彼らが今やらなければならないことは、麻原の説法を見直して、どこに、あの事件を起こす因子があったのか、どうすれば防げたのかを考え、あらたに宗教体系を構築することのはずだ。

しかし、松永氏に関して言えば、既にアーレフを脱退済みだ。

麻原彰晃旧団体代表(松本智津夫被告)への信仰心は現在ありません。その状態で団体にとどまる意味はないと考えたのが、飛び出した動機でもあります。

とも発言している。じゃ、松永氏には、あのオウム事件に関して、一体どんな罪があるのか。


構成員には組織の罪をとにかく引き受ける義務があるのか。怪しげな雰囲気を、あらかじめ察する義務があるのか。

もしそうなら、一体どれくらいの雰囲気から、怪しいと感じてしかるべきなのか。世界中の誰もが、感じることのできない「怪しさ」であっても罪に問われるのか。

いやいや、オウムはあんなに「怪し」かったじゃないか、という人もいるだろう。
たしかに、選挙に出るだの(あ、これはライブドアも一緒か)、座禅で空を飛ぶだの、ヘッドギアで麻原の脳波と同調させるだの、アメリカから毒ガス攻撃受けているだの(お前はキバヤシか!)、オウムは「怪し」すぎる。
でも、そんなに「怪し」かったなら、どうしてあれだけ多くの若者が入信していたのか、どうして、頭の良い連中まで気づかないのか。我々が「どうして気がつかない!」と怒るのは、単に当事者でないからではないのか*1

ライブドア社員である私は想像できるが、オウム信者である私は想像できない。その当事者性のなさが、オウム信者には罪があり、ライブドア社員には罪がないと見せているのか。もしもそうなら、それは愚かなことなんじゃないのか。

誰か教えて欲しい。
オウム信者に罪はあるのか。そしてライブドア社員には罪があるのか。
もしも、オウム信者に罪があり、ライブドアの社員に罪がないのなら、その差はどこで生まれるのか。
もしも、オウム信者に罪があり、ライブドアの社員にも罪があるのなら、何故、何も知らない構成員まで組織の罪を負わなければならないのか。

私には良くわからないのだ。

*1:オウムは少なくともヨガに関しては結構な技術があったそうで、あほなことはやっているがそういう部分ではまとも、ってところが信用力のアップにつながっていたと聞く。ヨガに興味のある人だと、「怪し」いところは遊びみたいなものとしてスルーして、オウムにのめりこむ可能性はあるように思える。ちょうど、ホリエモンのアホな言動にニヤニヤしつつも、経営に関しては信頼していた人々のように