不老不死

不老不死は、時間の感覚の消失を意味する。
なぜなら時間というのは、分数で把握されているからだ。たとえば、40年間、会社を勤めあげたとして、それが「長い」のは、80年の寿命に対し2分の1だからだ。余命が1ヶ月しかない人間にとって、くだらないことで待たされるのは、例え1時間であっても苦痛だろう。なぜなら、彼にとって1時間は720分の1だからだ。

もしも私たちが不老不死ならば、分母は無限となる。よって、分子にどんな数字が入ろうが、等しく0となる。1億年も1分間も等価値だ。

時間がなければ、効率性という概念は存在しない。効率性の分母は時間なのだから。そして、効率性のない世界では、「意味」も生じない。
「意味」とは、それが自分にとって、いかに「価値」があるかであり、「価値」とは効率性なのだから。

つまり、「どうせ死ぬんだから、何事にも意味がない」という、よくある言説は間違いで、「死ぬから、意味というものが生じている」のではないだろうか。

不老不死になるくらいなら、死んだほうがマシだ。