著作権あれこれ

しっぽのブログ: もやしもんツールが講談社からの警告で公開停止 とその雑感

著作権について以前から書こうと思っていたのだが、ちょうどいい機会なので。

そもそも著作権ってのは、

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

ってことなんだって。
これ、調べてみて「むむっ」と思ったのだが、前半では「この法律は(中略)著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め」と「著作者」と書かれているのに、後半では「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」と、「著作者等」としているのだ。要するに、著作権法は確かに「著作者」の権利を定めた法律ではあるが、その目的は「著作者等」の権利の保護を行うためだと謳っているのである。
法律の解釈ってのは、偉〜い法学者がいろいろと考えてくれているらしいので、ここからはシロートの勝手な憶測だが、個人的には「著作権者等」のほうには、著作物の利用者も含まれているのかな、なんて思う。
まぁ、この解釈が当たっているかどうかは知らないが、文化の発展を目的に作られたのは間違いない。では「文化」ってのはどうなったときに「発展」したといえるんだろうか。

ここで「享楽量」ってのを提唱したい。「享楽量」は、誰かが何か物を楽しんだときに増加するものとする。もしあなたが、私のこの文章を多少なりとも楽しんでいるとしたら、今「享楽量」は増加している。この文章を書くのを楽しんでいる私も「享楽量」を増加させている。はじめ「消費量」にしようかと考えたのだが、それだと「作成時の楽しみ」の位置づけが定義しにくいので「享楽量」とした。

「文化の発展」を「享楽量」の増加として定義すると、単純な著作権の強化は実に馬鹿馬鹿しい。
松本零士先生とかのお話を拝聴すると、どーも彼らは、「享楽量」と「生産量」を取り違えているようだ。文化ってものを、クリエイター様が創りだして、クリエイティブ能力の欠片もない庶民どもに配ってやってるもの、とお考えなんだろう。
しかし、「生産量」の増加は必ずしも「享楽量」の増加を意味しない。「享楽量」の多くは「消費」を伴って発生するのだから。クリエイター様たちは、自分たちを文化の担い手と思っているようだが、真の担い手は作品を楽しんでいる人たちなのである。よって「享楽量」の増加を促すためには、過度な「消費」規制は排除するべきである。
じゃぁ、著作権なんてなければいいかといえば、もちろんそれは違う。著作権があることで、何かを作るモチベーションが保たれ「生産量」とクオリティーがあがる。それは「享楽量」の増加を促すから。

よって、著作権をどの程度まで認めるかというのは、著作者と著作物を楽しむ人の権利のバランスを秤にかけて考えなくてはならんわけだ。だから、とりあえず期間を延長しておけばOKなんてことはないし、逆に著作権なんてなくしてしまえってのも間違いなわけである。

…と、実に平凡な結論にたどり着いたところで、ここからは「享楽量増加」のために、今後どう著作権とその周辺を変えていくべきか、考えようと思う。

1.キャラクターの扱い
冒頭で取り上げた「しっぽのブログ」の過去のエントリ
ちまたで著作権と呼ばれるもののまとめ
で、キャラクターについてこんなことが書かれている。

上のほうで著作権はアイデアやキャラクターを保護しないと書いたよね。
イデアは特許で保護されるとして、キャラクターは何で保護されるの?というと、実は、無いのだ。
知的財産権においてキャラクターを明確に保護する項目は無いので、これがちょっとした問題になっているのだ。
(中略)
ちなみに今のところはキャラクターは作品に付随する形で間接的に著作権に守られているという形になっている。
早くちゃんと保護する法律ができるといいのだけど。

キャラクターを独自に守る権利を作るとして、その期間はどうするべきだろうか。私は、ある一定の保護期間を設け、それ以降、1年の延長ごとに課金するべきであると考える。

諸外国で著作権の延長がなされているのは、ディズニーのミッキーマウスを守るためってのはよく聞く話である。
ディズニーがミッキーを守りたくなるのも分かる。もしもミッキーを勝手に使用してよくなったなら、様々なミッキー製品が出回ることだろう。確かにそのなかには、ディズニーが思いもよらなかった素晴らしいものが生まれ「享楽量」の増加を促すことになるかもしれない。しかし、私が危惧するのは、ミッキーという稀代のキャラクターのイメージが激しく毀損されることだ。ミッキーマウスの書かれたコンドームや、ミッキーとミニーの激しいセックスアニメ、ミッキーが人を殺しまくるアニメ。いや、パロディとしては面白いけどさ。
ディズニーはこれまでミッキーのイメージを崩さないよう、統制をしき、その管理に心血を注いできたはずだ。その努力がミッキーというキャラクターのイメージをを作り上げてきた。ミッキーが公のものとなれば、管理は効かなくなる。早晩、ミッキーは、単なるネズミのお化けとなってしまうだろう。それはディズニーにとって悲劇である。そして、消費者にとっても。
よって、ミッキーのようなキャラクターはできうる限り保護するべきだ。それが「享楽量」の維持につながるはずだ。しかしながら、誰もが忘れてしまったようなキャラクターまで保護するのは意味が無い。したがって延長に一定の課金を行うようにする。
ミッキーのようなドル箱キャラクターは、常に一定のキャッシュフローを生み出しているから守られ続けるが、あまりキャッシュを生まないマイナーなキャラクターは、保護期間の後、著作権フリーとなる。そのほうが「享楽量」の増加につながる。
また、ミッキー出演のアニメは通常の著作権で守られているので、保護期間が終わればアニメそのものは自由に使えるようになることとする。キャラクターは、セックスしている絵を描くなどイメージの毀損が簡単だが、出演しているアニメそのものを配布することは毀損になりにくいからだ(余りにイメージを毀損するコラージュに使われた場合には、キャラクターを守る権利で訴えられるようにしておくと良いだろう)。こうすることで、古いミッキー出演のアニメは自由に楽しめるわけだ。これも「享楽量」の増加につながる。

2.著作権をあえて一部解放した作品の普及
多分これはやろうとしている人たちが結構いるものと推測されるが、これ!ってものがないんだよな。
ハルヒ」なんかは、わざとYOUTUBEに削除命令を出していないのだろうし、オタ系アニメはワザと同人を黙認している。そのほうが宣伝になるから。
これをもっとおおっぴらにやる作品があっていいと思う。コラージュ素材を公式に提供し、それどころかファンが作ったものを自ら取り込んで行くくらいのものを。せっかくインターネット網が発達し、暇なオタクどもが毎日フラフラ時間を潰しているのだから、そいつらを利用しない手はない。
例のドラえもん最終回や、冒頭で取り上げた、もやしもんデスクトップアクセサリの公開停止に関し、非難の声を上げる人は多いけれど、それじゃぁ企業は変わらない。著作権の一部を解放し、暇人どもの力を借りたほうが「儲かる」ってことをヤツラには認識させるべきだ。「著作権2.0」だ。誰かこれで本書け。
フリーシェアワールド(参照:http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060911/1157930012)も、この流れに位置していると思う。うまく成功してほしいものだ。たぶん、管理のノウハウがスゲー難しいんだと思うんだよね。ちょっと作ってみたい気はあるんだよな。