愛憎の複雑系

感傷的エントリーを書いてみる。まぁ、今回だけ。

数学における“複雑系”という研究分野には「ビリヤード問題」というものがある。ビリヤードの何がどう、問題になるのか。
ビリヤードで手玉を打つと、手玉はクッションで次々と反射していく。このとき、打ち出す角度がほんの少し変わっただけでも、まったく異なる運動になる。たとえば、ビリヤード台が長方形だとして、打ち出す方向をθとするとき、tanθが有理数であると軌道は周期的になるが、これが無理数だと軌道は非周期的となる。さらにビリヤード台の形を変化させると、軌道の種類は増え、初期値に対する鋭敏性が増すらしく、様々な研究がなされている(詳しくは知らんけど)。

人間の愛憎も複雑な系だ。まぁ、ビリヤードですらそうなのだから、当たり前といえばそうかもしれないけれど。
しかし、「好き」という感情はまっすぐで、力強く、ある方向へと打ち出されるものだとなんとなく思っていた。ドラマなんかでは大抵そう描かれるから。物語では、大抵、最後に「愛は勝つ」のだ。
でも現実はそう簡単なものでもないらしい。私はある人が好きだったりしたわけだが、その思いはクッションで反射し、予想もしない方向に転がった挙句、正反対のポケットに転がり込んでいってしまった。呆然とする。不条理だ。
もちろん私に問題があったのは、否めない。不用意な行動をとったことは今も反省もしている。しかし、目当てのポケットに入れられるかはともかく、まさか正反対のポケットに転がり込むことになるとは。様々な要因の連結が、最悪の結果を生んだ。何かの冗談みたいだった。
好きな人を傷つけるのは嫌な気分だ。傷ついた彼女に手を差し伸ばしたいのに、原因が自分にあるというどうしようもなさ。傷つきやすい人だったから、慎重さを心がけていたのに、ヘマした。

どうしたもんだかなぁ…。