就職活動における環境管理型権力

ちょっと昔の就職活動といえば、分厚い本を片手に、めぼしい企業にハガキを送りまくって資料請求を行う物だったらしいが、今は就職サイトの利用が一般的だ。リクルートが運営する「リクナビ」は、そういった就職サイトのうちで最大の規模のものである。
リクナビに登録していない就活生はいないと言っていいほど、その影響力は大きい。企業はリクナビにお金を払うことで、企業の紹介ページをつくり、就活生にダイレクトメールを送り、説明会の予約やエントリーシートの募集することが可能となるのだ。
で、問題はこの「説明会予約システム」である。実はちょっとしたウラがあったのだ。
リクナビに登録するとき、就活生は自分の大学名を登録するのだが、これを用いた学歴フィルターが存在するらしいのだ。すなわち、会社側さえ望めば、学歴の低い学生が会社説明会の予約をしようとしても、満席と表示され予約出来ないようにすることが可能なのだ。
そういうことをしている会社は、そもそも選考自体に学歴フィルターがついている。つまり学歴が低い学生が受けても、まず受からない会社なわけで、無駄な説明会に出なくてすむという意味では学生のためになっているという言い方も出来るだろう。
しかし、やはりちょっと引っかかるのも事実である。一体、何が引っかかるのか。
説明会に応募して断られた場合、いくら会社が「厳選な抽選の結果…」などといっても「学歴フィルターで落とされた?」といった疑いを抱くことが出来る。しかし上に書いたような仕組みだと、学歴フィルターの存在に応募者は気がつかない。たまたま運がなかったか、自分が募集に気づいたのが遅かったとしか思えない。つまり、応募者は自由が制限されたことに気がつかないままなのだ。

少し前に、東浩紀氏による「ポストモダン 情報社会の二層構造」というコラムを読んだのだが、ここにでてくる「環境管理型権力」というのは、たぶんこういう物なのだろう。
このコラムを読んだときには、自動改札やら、テロ対策の話などが例として挙げられているために「それの何が悪いわけ?」という感じで問題点がよく理解できなかったのだが、ここで指摘されているのは、アーキテクチャーが我々が気づかないうちに、我々を縛っていることに対する我々の鈍感さだったのだ。

そうなのだ。確かに私は鈍感だった。しかし、こういったことを突き詰めて考えはじめると不安になる。私はアーキテクチャによって、気づかないうちに行動を限定されていないだろうか、と。
このエントリーだって、はてなアーキテクチャによる影響を少なからず受けているはずだ。それを自分は理解し、了承したうえで、このエントリを書けているだろうか?
いや、そもそも、あるアーキテクチャがどのように自分に影響を与えているか、真に理解できることがあるんだろうか?
私たちは「環境管理型権力」に気がつかないうちに制限され生きている。それはある意味で、暴力による支配より恐ろしい。なにしろ、気づかないうちに自由が制限されてしまうのだから。