Yahooブログにおけるトラックバックの研究

アップルのiMac G5欲しい!アップルのiMac G5欲しい!今のパソコンはDVD使えねーんだ。DVD見せておくれぇ…。
と、おねだりしたあとで。


Yahoo!ブログ - BUNGAKU@モダン日本 発想転換,トラックバックはこんなに簡単!
「昔書いた記事も関連エントリを検索してトラックバックすればPV上がるじゃん。トラックバックってかんたーん!」という記事が大炎上。

一般的に言ってトラックバックってのは、あるエントリに言及し、そこへのリンクをはって、最後にトラックバックするものだ。上記のやり方では、エントリへの言及はしていないし、リンクも張っていないことになる。「常識」はずれだ。

しかし、こういった「常識」ってのをどこまで普及できるのか、もしくは、そもそも普及すべきなんだか、今回の件でわからなくなってきてしまった。件のブログやその周辺を見ていると、私が知っているのとは全く違う「ブログ界」があるように思えるのだ。

なんというか、徳川幕府の弾圧から逃れたキリスト教徒が作った隠れ里yahooブログでは長い年月の末にキリスト教と土着の宗教が融合し、全く違うトラックバックが語り継がれていたのであった…。inspired by「奇談」。

しかし、こういう状況に対して、脊髄反射的に「僕らの知っているトラックバックと違う!けしからん!改宗させてやるっ!」と意気込むのはあまり得策ではない様に思うのだ。ブックマークの状況を見ても、(私も含め)あきらかに「可哀想で低レベルな未開人yahooブロガーどもを、知的で文明的、web2.0革命を成し遂げた、はてなブロガー様が正しいトラックバックマナーを啓蒙してやる」という雰囲気が漂っている。しかしながら、「未開人は頭がパーだから訳わからんことをするのだ」という蔑視的考えは、大抵ろくでもない。構造を分析することによって、交差イトコと平行イトコが、なぜ婚姻において別物として扱われているのかを見抜いたレヴィ=ストロースを見習うべきである。

というわけで研究に入るが、まず一般的に良く用いられるトラックバックというのは、相手の意見を参照した上で、その意見に対する反論をしたり、追加意見をしたり、すなわち「議論」をするために用いられる。
しかしながら、Yahooブログにおいては「議論」をすることはあまり無いのではないか。大体、「非モテ」ごときでジェンダーだの、ホモソーシャルだのメタとベタだの、言っているほうが考えてみれば異常事態であり(いや、好きだけどさ)、一般社会ではせいぜい「モテたいよねー」「ねー」くらいなもんだ。
「議論」をすることが無いのであれば、トラックバックは如何に使われるか。それは件のエントリが主張するように、ひとつには関連記事へのリンクである。これは、はてなで言えば、「おとなり日記」のシステムだ。手動な分、「おとなり日記」よりも正確に関連記事がピックアップされる。よって見ている人は効率的に似た記事を見つけられる。
さらに、「リンクしていない記事にトラックバックしたら一方通行じゃないか」という意見にも反論する。件の記事のラストを見てみよう。

 ★私はこれから,「トラバ」の記事にトラバします(^_-)。
 …トラバされた方,なにとぞ“トラバ返し”をお願いします!!

そう!忍法“トラバ返し”!トラバ返しがもしも常識であるならば、リンクをこちらから張らなくても、向こうがトラックバックでリンクしてくれるのである。一方通行ではないのだ。さらにトラックバックをやりあうことで、親睦を深めるという効果もあるのだ。おお!日本の古来からの風習「返杯」の進化系がここにあった!
トラックバックが議論や論点の整理のためでなく、親睦のためにあるとしたら、彼らのやり方は、なかなか優れたシステムなのではないか。
もちろんこれらは、本来期待されていたトラックバックの使い方ではない。しかし、彼らは自分たちの文化に合わせて、みごとにトラックバックを利用している。それをどこまで馬鹿にできるんだろうか。漢字を勝手に表音文字として利用しはじめた我々と何が違うのか。
大事なことは、相互の文化の違いを認め合うことなんじゃないんですかね。

あ、一応BUNGAKUさんにトラックバックしましたけどトラックバック返しは必要ありませんので。よろしく。

追記:
ちょっと追記して置こうっと。炎上しちゃ困るし。まぁ、結局こういう異文化があるとまずいってのは理解できる。たとえば、ぼくがYahooブログの人に議論を吹っかけてTBしたとき、それが関連記事に埋もれてしまうのは問題だ。
この記事で批判しているのは、「Yahooブログの連中は頭がパーだ」という考え方に対してであり、彼らが生まれ育った(?)「議論」のほとんど無い環境では、ああいった我々とは違うTBが生まれるのは必然的であり、むしろその環境に即したTBを生み出したという点においては評価できるという話。
ただ、中国人が、漢字を表音文字として使い始めた古来の日本人に対し「漢字ってのはそういう使い方じゃない。俺らの文章とごちゃごちゃになって分かりづらいからやめろ」って要求できるのか、と考えるとちょっと微妙。日本人が漢字を改良しカタカナ、平仮名を作ったように、「関連記事TB」とでもいうべき別の機能をyahooがyahooブログに与えるべきなのかも…。普通のTBとの違いは考えてないからわからんけど。