「エビちゃん」になった「文化系女子」

収まりつつあるけど、文化系女子の話。多分これが最後。

女の子ってのは、素で女の子なわけじゃなく、かなりの部分、女の子をやっている。世に言われる「女の子ってのは○○するものである」というものの、少なくとも半分くらい(いや、もっと?)は、はっきり言って男の押し付けである。彼女たちは今日もせっせと、そういった言葉を守り、自身がより女であるように振舞おうとしている。ご苦労様です。

ちと昔なら、法的に認められた「制度」のレベルで、そういう押し付けは存在していた。しかしながら、最近は男女平等ってことで、こういった「制度」は撤廃されつつある。
おお!では、女の子はついに解放されたのか!ってーと、まぁ、そう簡単にいくわけないわな。
このことに関しての詳しい話は、たぶんフェミニズムを研究されている方が色々語ってくださっているだろうから、このブログでは、生き残っている圧力のひとつである「モテ圧力」に絞って話をすることにする。


以前「どういう女性が好きですか?」と聞かれたことがあった。
私が「なんだか良くわからないムツカシー現代思想の本とか読んじゃう女の子」と答えてみると、周りの男や、女は「コイツは正気じゃない」といったような顔で「何でそんな子が好きなわけ(笑)?」「ありえねぇぇーーー(笑)」と大爆笑であった。
で、皆様はどういう女性が好きかというと、「やっぱりエビちゃんだよなー」とか「俺は押切もえだね!」だとさ。もちろん、みんながみんな、そういうモデルさんが好きなわけじゃなかったけれど、とにかく「文化系女子はありえない」という結論は覆ることがなかった。
「モテる」女性の型ってのはあるもんだ。そこからはずれれば、はずれるほど、非モテになる。その「モテ圧力」が、女性たちをより「女らしく」「モテるように」駆り立てる。「モテ」る努力をしていない女性は、男性からも、そして厄介なことに女性からも圧力をかけられる。男性からのそれよりも、他の女性によるそれのほうが、恐らくきついものになるだろう。女として「空気を読んでいない」から。
しかしこれは男性も同じである。「好きな男性のタイプは?」と聞かれて「はてなダイアリーで、今日も今日とて非モテについてのエントリーを書き散らしている人」って答えれば、その子は恐らくみんなから「コイツは正気じゃない」って思われること間違いなしである。「モテる」男性の型も、また存在するわけ。これから逸れた非モテにも、女の子にかかる圧力とは微妙に違う圧力がかかる。


そういうわけで、最近私は、こういう「モテ基準」をゆるがせることを目標にしていた。よくある「モテるタイプ」をズラしまくることで「モテ基準」が、グッチャグッチャのシッチャカメッチャカになってしまえばいいのだ。みんなが他人の「好きなタイプ」を聞いたときに「コイツは正気じゃない」と思えるように。

私は、ダヴィンチの文化系女子特集も、ユリイカ文化系女子特集も、読んでいない。ただ、一般的な「モテるタイプ」とは違う「文化系女子」のよさを声高に言ってみることで、「モテ基準」をずらそうと思っていた。


ところが、この「文化系女子」が「モテ基準」に座り込んでしまって、「エビちゃん」とそんなに変わらなくなってしまったことに今回の騒動の問題があったのだと思う。この点、反省。
この戦法にはどーも問題があるようだなぁ。