堀江いわく「みなさんの考えるジャーナリズムは、今は必要ない。」

毎日新聞 堀江社長:「ネットでネタ探せる」発信者責任、踏み込まず
必要ないなんて事はない。別にあっても良い。ただ、今までとは違うようなビジネスモデルが出てくるだろうし、それは既存のメディアを飲み込むかもしれない。それだけのことだ。
既存のメディアは何らかの情報を発見し、その後、それに解釈を加えて発表する。それはついこの前までメディアの専売特許だった。しかしいまや、「解釈の発表」は私たちにも可能だ。実際、このニュースはたった今、私によって解釈され、こうしてネットで発表されているわけだ。
メディアによる解釈というのは、これまでのように特別なものではなくなる。大量に発表される解釈のひとつに過ぎなくなるわけだ。おそらく、マスメディアにいる人間はこのあたりが気に入らないのであろう。どうも、あの手の人たちは「俺たち、メディアが無知蒙昧な大衆を啓蒙してやっているのだ。」と本気で思っているようだ。そのため、自分たちの「啓蒙活動」が無知な大衆たちの解釈に埋没していくのをみると、憤りやあせりを感じるのであろう。
しかし別に、怒る必要はないのだ。マスメディアは自らの解釈を堂々と流せば良い。誰もそれは止めない。解釈のひとつとして、気が向いたら読んであげるから。ただ、これまでのように特別扱いにはならないけど。
同時に、解釈をつけず視聴者によって解釈をつけてもらうメディアが誕生しても良い。視聴者の無責任な解釈が垂れ流されるのは間違いないが。多分堀江がこの記事で話しているメディアとはそういったものなのだろう。
ちなみに、そういったアマチュアによる解釈が「人権を侵害しないか」「青少年に有害ではないか」というのは当然チェックするべきであるし、問題があるなら逮捕すれば良い。なんにしろ、我々はマスメディアとすでに同列なのだ。マスメディアが人権を侵害したときと同様の罪に処するべきである。