さよなら俺の涼宮ハルヒ

ばばーん。ただいまから、久しぶりの更新までして、非モテが恋愛話をします。よく聞くように。

むかーしに好きだった女の子がいてだね。これが涼宮ハルヒみたいな女だったのだ。そのリアルツンデレ振りたるや、驚愕すべきものがあり、私は軽くノックアウトされた。大の親友で彼女と共通の知り合いであるKにも恋愛相談までしたっけ。結局なんもしなかったけどね。

ほんで、彼女に2,3年前に再会して、彼女のことがやっぱり好きになってしまったわけだ。
涼宮ハルヒってのはアレくらいの年齢だから可愛いわけで、20も過ぎてるのに、たいした才能もないくせに自分が何か世界の中心にいる特別な人間じゃないかという妄想を捨てきれずに、でも世間体的には自分が普通でしかないことに葛藤し、いつも「セケン」とやらに怒り続ける彼女は非常に「痛い」(つーか、これをハルヒ本人がみたら怒り狂いそうだな、見ませんように…)。
だけど、彼女は学生時代の思い出であるがゆえに美化されてしまうみたいで、珍しく強烈に恋愛感情を抱いたのである。二人でベットに横になりながら「ハルヒとこんな風になっちまうなんて…、なんだか世の中って不思議なものだね。」なーんてつぶやく俺を想像しつつ悶えていたわけであるよ。
ふたたびKに相談などした挙句、酔った勢いで告白して振られた。その後、まぁいろいろあって彼女とは絶交状態に。話はこれで終わるはずだった。

ところが最近になって、彼女は俺に話しかけるようになった。結構明るく。楽しそうに。なんかオカシイ。涼宮ハルヒが一度嫌いになった対象を赦すはずがない。ハルヒは墓場まで恨み辛みを持っていく女だ。他の人への対応もだいぶ常識的なものとなっている。なんだこりゃ。
観察して気がついた。左手の薬指に輝く指輪。
彼女は顔はイイが、その特殊すぎる性格(ああ、ブログでなら告白してやるさ!こんな性格の女を愛せるのは世界で俺だけだと自惚れていたこともあったさ!)のため彼氏ができないでいたのだが、ついに彼氏ができたようなのだ。
まぁ、もう、それほどショックじゃなかった。そりゃいつかはできるでしょうよ。つーか、ずーっとできない俺がオカシイ。むしろ、彼女をここまで一般人に近づけた彼氏さんに僕は心から拍手を送りたかった。つーか、よく付き合ってて耐えられるよ、偉いぜ彼氏!

そういうわけで、彼女から気持ちも離れ、単なるいち同窓生となっていた彼女なのだが、先日のことだ。その彼氏さんがどんな奴か判明したんだ。親友のKだった。おいおいおいおい。Kよ、お前はなぜ黙っているんだ。つーか、「こころ」か。夏目漱石か。立場逆だけど。

この間の同窓会で「今、彼女とかいるのか?」って聞いたときにお前「東京にいるよ」(Kは地方に勤めている)って答えてたよな。そのとき「実はハルヒと付き合ってるんだ」って言ってくれればいいじゃないかよ。水くせーなぁ。俺はマヌケにも「久しぶりに東京に出てきているんだから、同窓会なんかに出てないで彼女に会えよ」なんていっちまったじゃねーか、その彼女は同窓会でてますがな、1メートル先に座ってますがな。まったくもー。

まぁ、Kも気を使ってくれたんでしょうよ。
ショックなのは、俺が正直嫉妬していることだよ。なんだか、その後うまく寝付けなくて、真夜中にベットからおきだしてワザワザ「オーケー、認めよう。僕は嫉妬している」なんて口に出してつぶやくハメになったんだからな。あ、これ村上春樹のパロディね。

付き合ってることが完全に明るみとなったあと二人で帰る君たちを見て、うまくクチでいえないドロドローとした感情で胸が一杯になりましたよ。はーあ。

そうかぁ、キョンは俺じゃなくて、お前だったんだなぁ。まぁ、たしかにお前のほうがキョンっぽいよ。

うまいことあのハルヒを真っ当な女にしてやってくれ。もちろん俺なんかよりよく知っているだろうけど、ハルヒはそんなに悪い奴じゃないよ。お前ならできるさ。というか、世界でお前が一番適任だ。

トランプゲーム“コミュニケーションの真実”攻略法

せっかくなので攻略法を。

  • あなたがCの場合

このゲーム最大の肝は"場の空気"です。"場の空気"を常に読み、ふさわしい話題を出していきましょう。なにしろ、同一の話題さえ出していれば、「お前、空気読めてなくね?」とは言われない(おお!何てファンタジーな設定!)んですから!常に上のクラスが出した話題に追従する。これが基本的なCの戦略です。
もしも、同一の話題がない場合、遠慮することも重要です。どうせ「お前、空気読めてなくね?」といわれてカードを引っ込めることになるのですから、手持ちのカードをワザワザ見せる必要はありません。遠慮して生きていこうぜ!
そしてBクラスのプレーヤーが、Cクラスに転落するのをひたすら待ちます。BがCに転落した時が最大のチャンスです!C同士ならば、理不尽な格差はないのですから、Cに転落したBを徹底的にマークし、なんとしてもBへと這い上がりましょう!

  • あなたがBの場合

これ以上落ちようがないCに対して、BはCに落ちるという不安で一杯。このゲームの中で大多数でありながら、最も神経を使うのがBクラスです。
攻略の肝はやっぱり"場の空気"です。もしも順番がAクラスの次になってしまった場合は、Aには徹底的に媚びへつらい、同じ話題を提出していきましょう。Cに転落してしまったら最後、魑魅魍魎のようなCがワラワラとBの空位を狙って押し寄せます。気を引き締めていきましょう。
Bクラス同士では共同戦線を張ってCを徹底的にいじめつつ、同時にB同士でも熾烈な争いをする必要があるから、Bクラスは気を休めることができません。Cをいじめ、Bを抑えつつ、虎視眈々とAを狙っていく。それがBの戦略です。

  • あなたがAの場合

気ままに進めていけば、普通勝てます。違う話題が下位クラスから提出されても、余裕の笑顔で見逃してあげるなんて大人な対応ができるのもAクラスの特権。
そうした対応をしておけば、後々、肝となる場面で「もしかしてこれ通るかも〜」なんて淡い期待を持って、下位クラスが違う話題を出してくるかもしれません。カードをしっかり覚えたら、すぐさま「お前、空気読めてなくね?」と言い放ちましょう。途端に青ざめるBの顔を見るのは、愉快なものですよ!

それでは、良いゲームを!

トランプゲーム“コミュニケーションの真実”で遊ぼう!

楽しい楽しいゴールデンウィーク非モテの皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は、2ちゃんねる、はてぶ、動画ファイルナビゲーター、オナニー、順列都市、動画ファイルナビゲーター、オナニー、鋼の錬金術師、はてぶ、2ちゃんねる、動画ファイルナビゲーター、オナニー、はてぶ、2ちゃんねる実況板、はてぶ、オナニーと今日も楽しく、実に有意義に過ごしました。

さて本日は、残念ながら僕のように有意義な休日を過ごしていない皆様のために、ゴールデンウィーク最終日にピッタリな時間の潰し方を提案しようと思います。題して「トランプゲーム“コミュニケーションの真実”で遊ぼう!」です。大富豪を下敷きにしてみました。

もちろん、
socioarc: コミュカードゲームや、Welcome To Madchester非モテが「コミュニケーション」という名のカードゲームをプレイする事
のパクリではあるのですが、正直socioarc様の作られたゲームは余りにゲームバランスがよく、はっきり言って、ダメダメです。もっと理不尽なほどにゲームバランスが崩れまくっているのが、コミュニケーションというシステムなのです。そこで、非モテ十年選手の私が真実のコミュニケーションというものをゲームにいたしました。
お子様をお持ちのお父さま、お母さま!連休最終日は親子でこのゲームを楽しみ、スクールカースト上位がいかに素晴らしいかを教え込むことで、お子様を、非モテ非コミュにしないよう教育いたしましょう。


トランプゲーム"コミュニケーションの真実"の楽しい楽しい遊び方

  • 推奨プレーヤー数

3人以上で遊べますが、どうせGW最終日にこんな記事を読んでるお前みたいなヒキコモリには友達なんていないんだろうから、1人で3役やって悲しみにくれるのも良いと思う。

  • Aクラス、Bクラス、Cクラスを決めよう!

このゲームのプレーヤーは、Aクラス、Bクラス、Cクラスの3つのクラスに分かれます。
決め方ですが、基本的にメンバーの中で最もAっぽい奴がAで、Cっぽい奴がC、のこりはBです。ジャンケンや、くじ引き等で決めてはいけません。B、Cの判定が難しい奴は、Aが勝手に決めます。なお童貞はCです。
全員童貞の場合は悲しくなるので、適当に話し合ってAとかBとか決めてください。どうせ実生活では死ぬまでCなんですから、ゲーム中くらいAやBの気分になっても罰は当たりますまい。

  • カードを配ろう!

トランプのカードを配ります。
カードのマーク(ハートとかね)が、話題を意味します。数字はカードの強さです。強さは大富豪と同じ順です。

  • AクラスとCクラスでカードを交換

AクラスはCクラスに弱いカードを、CクラスはAクラスに強いカードをあげます。
交換する枚数ですが、のうち、より大きいほうとします。この数が手持ちのカード枚数を超えている場合、Cクラスのプレイヤーは自動的に負けとなります。あと言うまでもありませんが、人生でも負けです。

  • さあゲームの始まりです 愚鈍な童貞諸君 ボクを止めてみたまえ

スタートはAクラスのプレーヤーからです。好きなカードを場に出しましょう。
プレーヤーは場に出されたカードより数の大きいカードを出していきます。全員がパスしたら(話題が尽きたら)、そのとき最も高い数字のカードを出した人が次の親となり…って、このあたりは大富豪のルールを参照。あ、なお、Cクラスも親になれると言う実に非現実的なことが許されております。まぁ、カイジのEカードで、奴隷が皇帝に勝つようなものだと思ってください。カードをすべて場に出し切ったプレーヤーの勝利です。

  • "しばり"について

同じ話題が2度続いた場合、"しばり"となり、その話題で続けなければなりません。ただし、"しばり"を行ったプレーヤーのクラスが格下の場合、無視しても一向に構いません。

  • "場の空気"について

"しばり"が特にない状態でも、自分より格下のプレーヤーが、自分の出した話題と違う話題のカードを重ねてきた場合、「お前、空気読めてなくね?」といえます。
こういわれた格下プレーヤーはおずおずとカードを手元に戻し、その場にふさわしい話題を出すかパスをしてください。
なお、BクラスがAクラスに3回「お前、空気読めてなくね?」といわれるとそのターンからCクラスに格下げとなります。お気をつけください。

  • "Cクラスの親"について

全員がパスとなったところで、次の親が決まるわけですが、Cクラスが親となった場合にのみ特例があります。
Cクラスが始めのカードを場に出し、その後、次のプレーヤーへと進んでいくわけですが、そのCが作った場がなんとなく気に入らなかった場合、AやBのプレーヤーは、そのCクラスの作った場を無視して、別の場所にカードを置いてゲームをスタートすることができます。
無視されたCのプレーヤーは一言も発さずに、いそいそと自分が場に出したカードを、手元に戻してうつむきましょう。

  • "革命"について

そんなものはない。

  • ゲームの順位について

先にカードがなくなった順に、次のゲームではAクラス、Bクラス、Cクラスとなります。
ただし、CクラスがAクラスでゲームを終えた場合、他のAクラスのプレーヤーは「お前、空気読めてなくね?」といえます。この場合、このトップはなかったこととなり、Cクラスからまたやり直しとなります。


ルールはこんなもんです。
さぁ、ゴールデンウィーク最終日です!みんなで楽しくこのゲームをやって、さらに憂鬱な月曜日を迎えましょう!大丈夫!現実よりマシだから!このゲーム!

著作権あれこれ

しっぽのブログ: もやしもんツールが講談社からの警告で公開停止 とその雑感

著作権について以前から書こうと思っていたのだが、ちょうどいい機会なので。

そもそも著作権ってのは、

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

ってことなんだって。
これ、調べてみて「むむっ」と思ったのだが、前半では「この法律は(中略)著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め」と「著作者」と書かれているのに、後半では「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」と、「著作者等」としているのだ。要するに、著作権法は確かに「著作者」の権利を定めた法律ではあるが、その目的は「著作者等」の権利の保護を行うためだと謳っているのである。
法律の解釈ってのは、偉〜い法学者がいろいろと考えてくれているらしいので、ここからはシロートの勝手な憶測だが、個人的には「著作権者等」のほうには、著作物の利用者も含まれているのかな、なんて思う。
まぁ、この解釈が当たっているかどうかは知らないが、文化の発展を目的に作られたのは間違いない。では「文化」ってのはどうなったときに「発展」したといえるんだろうか。

ここで「享楽量」ってのを提唱したい。「享楽量」は、誰かが何か物を楽しんだときに増加するものとする。もしあなたが、私のこの文章を多少なりとも楽しんでいるとしたら、今「享楽量」は増加している。この文章を書くのを楽しんでいる私も「享楽量」を増加させている。はじめ「消費量」にしようかと考えたのだが、それだと「作成時の楽しみ」の位置づけが定義しにくいので「享楽量」とした。

「文化の発展」を「享楽量」の増加として定義すると、単純な著作権の強化は実に馬鹿馬鹿しい。
松本零士先生とかのお話を拝聴すると、どーも彼らは、「享楽量」と「生産量」を取り違えているようだ。文化ってものを、クリエイター様が創りだして、クリエイティブ能力の欠片もない庶民どもに配ってやってるもの、とお考えなんだろう。
しかし、「生産量」の増加は必ずしも「享楽量」の増加を意味しない。「享楽量」の多くは「消費」を伴って発生するのだから。クリエイター様たちは、自分たちを文化の担い手と思っているようだが、真の担い手は作品を楽しんでいる人たちなのである。よって「享楽量」の増加を促すためには、過度な「消費」規制は排除するべきである。
じゃぁ、著作権なんてなければいいかといえば、もちろんそれは違う。著作権があることで、何かを作るモチベーションが保たれ「生産量」とクオリティーがあがる。それは「享楽量」の増加を促すから。

よって、著作権をどの程度まで認めるかというのは、著作者と著作物を楽しむ人の権利のバランスを秤にかけて考えなくてはならんわけだ。だから、とりあえず期間を延長しておけばOKなんてことはないし、逆に著作権なんてなくしてしまえってのも間違いなわけである。

…と、実に平凡な結論にたどり着いたところで、ここからは「享楽量増加」のために、今後どう著作権とその周辺を変えていくべきか、考えようと思う。

1.キャラクターの扱い
冒頭で取り上げた「しっぽのブログ」の過去のエントリ
ちまたで著作権と呼ばれるもののまとめ
で、キャラクターについてこんなことが書かれている。

上のほうで著作権はアイデアやキャラクターを保護しないと書いたよね。
イデアは特許で保護されるとして、キャラクターは何で保護されるの?というと、実は、無いのだ。
知的財産権においてキャラクターを明確に保護する項目は無いので、これがちょっとした問題になっているのだ。
(中略)
ちなみに今のところはキャラクターは作品に付随する形で間接的に著作権に守られているという形になっている。
早くちゃんと保護する法律ができるといいのだけど。

キャラクターを独自に守る権利を作るとして、その期間はどうするべきだろうか。私は、ある一定の保護期間を設け、それ以降、1年の延長ごとに課金するべきであると考える。

諸外国で著作権の延長がなされているのは、ディズニーのミッキーマウスを守るためってのはよく聞く話である。
ディズニーがミッキーを守りたくなるのも分かる。もしもミッキーを勝手に使用してよくなったなら、様々なミッキー製品が出回ることだろう。確かにそのなかには、ディズニーが思いもよらなかった素晴らしいものが生まれ「享楽量」の増加を促すことになるかもしれない。しかし、私が危惧するのは、ミッキーという稀代のキャラクターのイメージが激しく毀損されることだ。ミッキーマウスの書かれたコンドームや、ミッキーとミニーの激しいセックスアニメ、ミッキーが人を殺しまくるアニメ。いや、パロディとしては面白いけどさ。
ディズニーはこれまでミッキーのイメージを崩さないよう、統制をしき、その管理に心血を注いできたはずだ。その努力がミッキーというキャラクターのイメージをを作り上げてきた。ミッキーが公のものとなれば、管理は効かなくなる。早晩、ミッキーは、単なるネズミのお化けとなってしまうだろう。それはディズニーにとって悲劇である。そして、消費者にとっても。
よって、ミッキーのようなキャラクターはできうる限り保護するべきだ。それが「享楽量」の維持につながるはずだ。しかしながら、誰もが忘れてしまったようなキャラクターまで保護するのは意味が無い。したがって延長に一定の課金を行うようにする。
ミッキーのようなドル箱キャラクターは、常に一定のキャッシュフローを生み出しているから守られ続けるが、あまりキャッシュを生まないマイナーなキャラクターは、保護期間の後、著作権フリーとなる。そのほうが「享楽量」の増加につながる。
また、ミッキー出演のアニメは通常の著作権で守られているので、保護期間が終わればアニメそのものは自由に使えるようになることとする。キャラクターは、セックスしている絵を描くなどイメージの毀損が簡単だが、出演しているアニメそのものを配布することは毀損になりにくいからだ(余りにイメージを毀損するコラージュに使われた場合には、キャラクターを守る権利で訴えられるようにしておくと良いだろう)。こうすることで、古いミッキー出演のアニメは自由に楽しめるわけだ。これも「享楽量」の増加につながる。

2.著作権をあえて一部解放した作品の普及
多分これはやろうとしている人たちが結構いるものと推測されるが、これ!ってものがないんだよな。
ハルヒ」なんかは、わざとYOUTUBEに削除命令を出していないのだろうし、オタ系アニメはワザと同人を黙認している。そのほうが宣伝になるから。
これをもっとおおっぴらにやる作品があっていいと思う。コラージュ素材を公式に提供し、それどころかファンが作ったものを自ら取り込んで行くくらいのものを。せっかくインターネット網が発達し、暇なオタクどもが毎日フラフラ時間を潰しているのだから、そいつらを利用しない手はない。
例のドラえもん最終回や、冒頭で取り上げた、もやしもんデスクトップアクセサリの公開停止に関し、非難の声を上げる人は多いけれど、それじゃぁ企業は変わらない。著作権の一部を解放し、暇人どもの力を借りたほうが「儲かる」ってことをヤツラには認識させるべきだ。「著作権2.0」だ。誰かこれで本書け。
フリーシェアワールド(参照:http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060911/1157930012)も、この流れに位置していると思う。うまく成功してほしいものだ。たぶん、管理のノウハウがスゲー難しいんだと思うんだよね。ちょっと作ってみたい気はあるんだよな。

恒例の非モテコピペ

非モテ諸君!私がid:maroyakasaである! 諸君!俺の人生は最悪だ! 脱オタだとか美容院デビューだとか、私はそんなことには一切興味がない! あれこれオシャレして問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階にはない!
こんな人生はもう見捨てるしかないんだ、こんな現実はもう滅ぼせ! 私には、建設的なライフハックなんか一つもない! 今はただ、スクラップ&スクラップ、全てをぶち壊すことだ! 諸君!私は諸君を軽蔑している! この下らない恋愛至上主義を!そのシステムを! 支えてきたのは諸君に他ならないからだ!
正確に言えば、諸君の中の多数派は、私の敵だ! 私は、諸君の中の少数派に呼びかけている! 少数派の諸君!今こそ団結し、立ち上がらなければならない! 奴ら多数派はやりたい放題だ! 我々少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている!
少数派の諸君!誰かを愛することで何かが変わると思ったら大間違いだ! 所詮恋愛なんか、多数派のお祭に過ぎない! 我々少数派にとって恋愛ほど馬鹿馬鹿しいものはない! イケメンが来れば、イケメンが勝つに決まってるじゃないか!
じゃあどうして恋愛の話をグダグダ、こんなコピペまで作って毎度毎度愚痴ったりしているのか?
その話は、長くなるから、俺のブログを見てくれ! たまに増田でも愚痴っているから、どちらも見逃さないように!
私は、この国の、少数派に対する迫害にもう我慢ならない! 少数派の諸君!多数派を説得することなど出来ない! 奴ら多数派は、我々少数派の声に耳を傾けることはない! 奴ら多数派が支配する、こんな下らない国は、もはや滅ぼす以外にない!
合コンなんかいくらやったって無駄だ! 今催されている様々な合コンは、どうせ全部全て奴ら多数派のための出会いの場じゃないか! 我々少数派は、そんなものに期待しないし、勿論協力もしない! 我々少数派はもう3次元に何も望まない!
我々少数派に残された選択肢はただ一つ! こんな現実からはもう目をそむけることだ! ぶっちゃけて言えば、もはやエロゲーしかない! 少数派の諸君!これを機会に、ハーレムエンドのシナリオを、共に進めていこうではないか!
ブログに、連絡先が書いてあるから、オナニー中でも、終わってからでもかまわない! 私に一本メールを入れてくれ! 勿論、ヤラハタ予備軍の未成年の諸君や、オタク以外の諸君でもかまわない! 我々少数派には、セックスなんか元々全然関係ないんだから!
最後に、一応言っておく! 私にリアル彼女ができたら、奴らはビビる!! 私もビビる!!
id:maroyakasaに悪意の一ブクマを、id:maroyakasaにやけっぱちの一ブクマを! じゃなきゃブクマなんかするな、どうせ、はてなじゃ何も変わらないんだよ!!


それにしても、恐ろしいほど改変の必要がないな…。

新海誠の最新作「秒速5センチメートル 桜花抄」を観た

Youtube新海誠の最新作「秒速5センチメートル 桜花抄」が上がっていたので観る。

http://www.youtube.com/watch?v=Aa4kehfqGk0

新海誠の武器は「日常風景フェチ」な点だと思う。乱雑に置かれた教室の机とか、駅の電光掲示板とか、自動販売機とか、電話ボックスとか、車両の連結部分とか。そういう我々の身の回りにある雑多なものを描かせると本当にカッコイイ。エヴァンゲリオンの電線や公衆電話なんかの影響下にあるんだろうか*1
で、内容はといえばいつもの新海誠であり、それに口出しするのも野暮な気がするんだけど…。ホント同人っぽいんだよなぁ。どっかにあるという「萌えアカシックレコード」からそのまま引っ張って来た感じ。水戸黄門より予定調和なんだよなぁ。いや、そういう需要があるのは分かるし、いいと思うけど、本人どう思ってんだろうなぁ。そのへん。
せっかくの「日常風景フェチ」なんだから、もっとリアルで、しょーもない日常を描いたら、すごく面白いものになりそうなんだけどなぁ。木尾士目の「五年生」みたいな奴。それがダメなら、非モテアニメを作るべきだよ。最強伝説黒沢の第1話をアニメ化しなさい。是非やんなさい。
いいか、少年。鹿児島に転校になるよりなぁ、25歳にもなってキスすらしたことがないほうが、どれだけつらく哀しいことか…。しかも、哀しいくせに笑けてくるんだからな。つらいぞ、ほんとに。

※投稿後即追記
こんなこと書いちゃったけど、新海誠はすごいと思う。
思春期のときに世界でただ一人の女の子ができて、その子と心が結びつきあって、でも様々な理由で逢えなくなってしまう、っていうシチュエーシュンには誰だって心が掻き立てられるさ。キスさえしたことない25歳でも、なぜか懐かしさや胸の苦しさを覚える。でも、それをそのまんま、恥ずかしげもなく、ど直球で描けないって。どうしたって、技巧でクネクネクネクネ変化球に仕立て上げてしまうって。「甘い食べ物が好き?ならこれでも食え!」って砂糖の固まりぶん投げるような真似できないよ。それをやるからスゴイよ。動物化ってやつをヒシヒシと感じるよ。参った。降参。なんつーか、癒しだね。アロマテラピー的なものを感じる。

*1:たぶん、エヴァだって何かの影響を受けているんだろうけど。こういう日常風景フェチのはしりは誰なんだろうなぁ