猥談について本気出して考えてみた。

なんで若者は猥談で盛り上がるのが好きなんだろう。考えてみると、同じ猥談でも男女で猥談する場合と、男だけで猥談する場合、女だけで猥談する場合では若干、その機能が異なるように思う。
男女で猥談する場合というのは、いやらしい雰囲気が付きまとう。男の参加者は女へ、女の参加者は男へ向かって、本来語りにくい自分のエロぶりを語ることで、みんなで悶々としようというのがその趣旨だ。さらに「俺って明るいエロ男」「私ってフランクな女」っちゅうアピールもあるかと思う。個人的には「俺って明るいエロ男」というスタンスの男が最も嫌いであるが。さらに、もちろん「俺たち、私たちってこんな下世話なことも話せる仲間」という意思確認もある。
男だけの猥談は、この「仲間だよねー」という意思確認の面が強い。よって、例えば「人妻とやった」とか「二股してる」などの道徳的にけしからんことを積極的に語る。たぶん、女がいるときよりも語る。こうすることで、「俺たちって道徳に反しても女を犯してしまう悪いヤツラなんだよねー。お前もそうだろ?そう!俺たち、悪者でーす!」という共犯関係を利用した結束の高めあいができるのだ。実は私が猥談が苦手な理由のひとつは「共犯関係の強要」が公然と行われることでもある。俺、犯罪してないのに罪だけ着せられるんだもん。
ちなみにこれは、連れ立ってナンパする、という心理とほぼ同じである。「連れ立ってナンパする」というのは女を手に入れる手段であると同時に、仲間の結束を高めるためのゲームなのだ。
女だけの猥談はしたことが無いので知らないが、たぶん「女の子って大変だよねー。男はアホばっか」的な世界だろう。「だめんずウォーカー」を見ての想像。あのマンガはベースが「女だけの猥談」だから、たぶんそう。

ちなみにこれと関連して「ムッツリスケベ」について考えておく。
なぜ、「ムッツリスケベ」は悪い事なのか。本来なら「ムッツリスケベ」は、TPOをわきまえた節操のある人間という意味であるし、エロスが日常からの乖離であるということを考えれば、むしろ「ムッツリスケベ」は正しい「性」に対する姿勢である。
ところが、「ムッツリスケベ」は悪いこと、馬鹿にされる対象なのだ。なぜかといえば、「ムッツリスケベ」は猥談に乗ってこない奴、すなわち「俺たちってこんな下世話なことも話せる仲間」に入ろうとしない人間だからだ。
「ムッツリスケベだ」と断定することは、そういった姿勢を糾弾すると同時に、「本当は好きなんだろ?好きに決まってる」と「仲間」に強制加入させる方法なのである。

そういうわけで、要するに猥談はコミュニケーションツールなのだ。コミュニケーション能力がある連中は、その力を見抜いて猥談を多用するわけだね。
そういや、昨年の内定者で集まったときに猥談が始まったきっかけを振り返ると…。
私と気の会う数人(男ばっか、モテてない奴が多い)で、隅っこのほうで飲んでいた。そこに中心メンバーの男登場!ちょっと喋ったがうまく盛り上がらない。彼が猥談を始める。俺、逃亡。といった感じであった。
たぶん、中心メンバーの彼は、場を盛り上げて結束を高めようと思い、猥談を始めたのだろう。彼に悪気は無い。彼の経験では「困ったら猥談」という感じだったんだろう。しかし、こっちはあんまりしたくない話題なわけで…。
そもそも、そんなに盛り上がらなくたって良いんだけどな。「酒の席=盛り上がるもの」ってのが間違いなんだと俺は思うけど…。
結局、その手の人と飲むときに猥談を避けるには、猥談に変わる、キャッチーで誰もが話せるネタを常にストックしておく必要があるのかもなぁ。経験上、小学校のときのアホ話なんかが、これに該当するように思うのだがどうかね?